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松岡享子さんの講演会【1】講演会の内容

2

*** 双子2歳5ヶ月 ***


前回の記事(→☆)で、うまくこの講演会で感じたことをまとめられない…と書きました。
ですので、印象に残ったことや、メモとれたものだけ、そのまま文字におこしておきます。
うろ覚えの部分もありますし、前後の脈絡など、わかりづらい部分もあるかと思いますが、ご容赦ください…m(_ _)m

因みに、松岡享子さんは、中でも絵本や紙芝居を介さずに物語を語る「おはなし(ストーリーテリング・素話)」に注力していらっしゃいます。(関連することが講演会の中で出てきます)
とってもチャーミングで、静かで穏やかで、ユーモラスな…本当に素敵な方でした^ ^

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講演会テーマ
『子どもと本 -きのう・きょう・あす-』


今の子どもたちの状況に明るい見通しをもっていません。
不安な気持ちにあふれている時代です。


近著の「子どもと本」(岩波新書)は集大成だと、編集者に言われました。
はじめはしっくりこなかったけれど、今はそうだなぁと思います。

この本の中で、「昔話の底力」について書いていますが、今日は
この本で触れられなかった話を、落穂ひろいのように話したいと思います。


◆読者としての子ども
◆おはなしを語る、ということの意味
◆3.11



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◆読者としての子ども

自分がこの職にたずさわってきて、大きく学んだことは「読者としての子ども」ということです。

図書館について大学で学ぶことは、どうやってよい本を選ぶか…という主に「本」について。
いい本を置いておけば、子どもが勝手に読むと思っていました。
でも、文庫・図書館の仕事をしていく中で、どうやらそれは違う、ということがわかってきたんです。

『くまのプーさん』なんていう絵本は、波長の合わない子に全く通じません。


よい本がどれか、ではなく、
子どもがどれだけ多くのことを学びとり、大きなものを得てくるか…であると、考えるようになり、

「読者としての子どもの能力」というものに、興味をもつようになりました。


70年代の後、図書館である傾向が表れはじめました。

装丁がジミでとっつきにくいけれど、手にとってみるとおもしろい…
そういう本が借りられて行かない…という傾向が顕著になったのです。


その時、どんなに大人がいい絵本だと思っていても、
子どもがおもしろがってくれないと、それはおもしろい本にはなってくれない
、ということが身を持ってわかりました。


その時代は、子どもに急激な変化がみられた時代です。

新幹線が開通し、どんどん新しい家電も現れ、生活スピードが格段に速くなりました。
ファミレスやコンビニなどの外食文化も急速に広まりました。

それに伴って、子どもの感覚が変化し、本に対する感覚も変化したのだと思います。

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グリム「小人とくつや」という童話を、ずっと子どもたちにおはなししている友人がいます。

おじいさんが革を裁っておいておくと、翌朝には縫いあがっていた…
それもとても丁寧で美しい仕上がりで。

昔は、この場面でうれしそうな顔をする子どもが何人かいたのですが、
今の子達は、そのシーンはつるっと通り過ぎるのだそうです。

では、今の子どもたちがどこで喜ぶのかといえば、最後に
お祭り騒ぎのように、服を着て踊って小人たちが出て行ってしまう場面なのだそうです。


このグリムの物語は、ちょっとやそっとの時代の変化で廃れてしまうようなものではないと思いますが、
この変化は、子どもたちが「手でつくるいい体験」をしなくなってきたことと関係があるように思います。

親の世代が、労働者・生産者の感覚から離れてしまったのです。

子どもたちが喜びを感じるのは「いい手仕事」ではなく、
エンターテインメントの要素にだけ反応するように、変化していったのです。



現状を見ていても、今後その傾向はどんどん加速していくように思われます。

それにしたがって、人と人との関係にこめる深みも変わっていく。

子どもが、本から得ていくものを変えていく。

それをどういう風に考えたらいいのか…と私たちは不安を抱いていますし、常に関心を持っています。

読書とは、いったいどういう機能なのか。
よい読者に育てるにはどうしたらいいのか。

まとめるにはまだ時間がかかるでしょう。

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「本を読む」ことに必要なのは、文字などではなく「想像力」です。

子どもが本から得たもので自由に空想できないと、いい読書にはなりません。

その想像力はどこから来るのか、といえば「子ども時代にあそんだこと」です。


80代にリンドグレーンが書いた自伝のタイトルは、
「あそんで あそんで あそびました」でした。

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幼少期、私はいつも一緒に遊んでいた子が引っ越してしまったのですが、
その子とお人形遊びをするために、お人形を風呂敷で背負って、
毎週、電車に乗って引っ越し先へ通う、ということをしていました。

その友人の家は、とても恵まれた家庭であり、子どもたちが自由に遊ぶことができました。
私たちはそこを「子ども王国」と呼んでいました。

三段の本棚をドールハウスに見立て、部屋にし、
小さい家具は、鳩時計にいたるまで、すべて自分たちで手づくりしました。


友人の1つ下に弟がいました。
味噌っかすのようにいつも私たちに着いて来ては、仲間に入れて欲しいとせがんでいました。
が、私たちは2人で遊びたいので、仲間にはいれていなかったのです。

しかし、弟は私たちが遊ぶのをちゃんと見ていたんです。

白いろうそくを燃やして溶かしたものをたらすと、丸もちになる。
その上にオレンジのクレヨンをとかしたろうそくを、また垂らすと、今度は目玉焼きになる…


その弟は、茶色のクレヨンで濃淡3色のろうそくをとかして、
「コーヒー」「紅茶」「ココア」をつくったのです!

そして仲間にいれてもらえないものだから、自分で「だるま国」なるものを建国し、
私たちの「子ども王国」に「輸出」をはじめました。


当時はインスタントなんていうものは、まだ無かった時代。
なのに、私たちの間では「この茶色い丸いコーヒーをお湯で溶かすと飲める」という発想をとっくにしていたのです。

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次に、小学生の時の話。
小学校にななめになった切り株があり、そこへ友達が何人もまたがって乗って遊びました。

みんなでじゃんけんをして、じゃんけんで勝った子は、その切り株に乗って行ける
「行き先」を指定でき、他の子は、指定された行き先・出されたお題をどう演じきるか、
指定された秒数で相談して考える…というルールでした。

ある子が言った行き先は「2,000年先」でした。

私たちはすぐに2,000年先の世界はどんな世界だろう???と話し合い、
「みんな同じ言葉で理解できるようになっている」
「1つの言葉ですべてのことが通じるようになっている」
と言った子がいました。

制限時間が来たとたん、私たちは歩きながら友人たちと顔を見合わせ、
ニコッとお互いにうなずき、さも意思疎通できているようにふるまい、2,000年先の住人になりきっていました。

(その様子に観客、大笑い)


この遊びをしていたのは、UFOだのタイムマシンだのという
SF小説なんて読んだことのない歳でした。

子どもは放っておけば、これだけの想像力を働かせることができるのです。


そうなるには、

『精神的に自由な空間があること』
『遊び呆けるまで妨げられない時間』
これらが、どうしてもどうしても必要なのです。



それが今はどうなっているか、といえば、
何時何分にどこへ行かなければならない…という調子です。


クリエイティビティというものは、
さまたげられない、大きな塊(かたまり)としての時間がないと、育たないのです。



私が育った時代の空気は、貧しいけれどがんばって先へ行けば、なにかいいことがある、
民主主義という言葉もフレッシュに聞こえた時代で、男女平等がさけばれ、
それまで男の子の専売特許だった木登りも「女の子もしてみんとてするなり!」という、活気のある明るい雰囲気がありました。


今の空気といえば、閉塞感に満ち、今まで子どもが知らなくても済んでいた、
凄惨で残酷な現実を、小さい頃から見聞きしています。
このような状況で、子どもはどうしてポジティブな気持ちを育てられるでしょう。



それでも、私たちが少しは元気に毎日過ごしていられるのは、
元気な子どもと接しているからです。

おはなしを聞いている子どもたちの反応には、
私たちを生かしてくれる“なにかいいもの”がある
と実感しています。

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◆「おはなしを語ることの意味」

東京子ども図書館では、2年間のおはなしの講習会をしていて、
今まで述べ900人以上の人たちが修了しました。

その卒業生たちは、おはなしを語ることをとおして、ある種の人間革命が起こっています。
おはなしをすることで「人を生かしていく力」を、何か掴んでいるようです。


「語る」という行為がもっている意味とはなんなのか…

子どもがいい読者に育つには、どうしたらいいのか…

読書の働きはなんなのか…


私はいつも受講生に、理屈ではなくてやってみないとダメなのよ、と言っています。
ですので、私もひとつおはなしをして、皆さんに聞いていただこうと思います。

(会場、大歓声・拍手)

ローレンス・ハウスマン『中国のフェアリーテール』

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註: ここで松岡享子さんによって、おはなしが語られました。

それは、中国の画塾で使用人として働き、さげすまれながらも、絵を描くことを渇望している貧しい少年のお話です。夜になると、人目を盗んで絵を描くようになり、画塾に飾られた名画に描かれた絵の中の画室から、その絵の作者(300年前の絵の大家)が現れ(!)、その少年に絵を描くことを教えます。ついには、その絵の中にある画室に入って学ぶこととなり、数年後、立派な絵描きへと成長した青年が絵の外の世界に帰ってくる…という、なんとも不思議で感動的な物語でした。

時間はわかりませんが、数十分はある、とてもとても長いお話です。
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◆3.11

この『中国のフェアリーテール』は、陸前高田市の小友(おとも)小学校の6年生への
卒業のはなむけとしても語ったおはなしです。(陸前高田市は市の7割が被災した)

子どもたちには、

・好きなことをやっていってほしい
・いい先生(学校だけでなく)・恩師にめぐりあってほしい
・いつも休みにおいで、と言ってくれる場所があってほしい

そんな思いがありましたが、どんな言葉よりも、物語の方がよっぽど気持ちを伝えてくれると思い、祈りをこめて語りました。


物語に出てきた、名画の中の小さな扉。(大家の画室)

小さな扉 = 本の世界

のように思えました。
そこに本がありさえすれば、300年前の人にだって教えをうけることができる。

よい意味の刺激がある。
安心できる世界がある。
色々なことを忘れて空想する体験が出来る。


きっとこの物語が、自分の祈りを雄弁に伝えてくれると思い、このおはなしを選びました。



「私は私の分身を、今、この世に送り出す」

と、絵の大家は主人公を絵の外の世界に戻しました。

おはなしを語っている最中に、自分では今まで思いつかなかったことを思いつくことがあります。

「分身を世に送り出して、私たちの命・生活がつながっていくんだな」

そんなことに気がつきました。


3.11後の支援として『小さいおうち』事業や、ご縁があり小友小学校でのおはなしをやってきましたが、
まだそこで暮らす人々の本当の苦しみに近づけたという気がしていません。
でも、つづけていけば何かが生まれると思ってやっています。

インドの詩人・タゴールは

「子どもの誕生をもって、神はまだこの世に絶望していない」

と言いました。

震災後におとずれた小学校の教室で、子どもたちを前にして、
その状況に言葉が見つからなくなり、ともかく子どもたちに「ありがとう…」ということだけを言った時、
大きな明るい声で「ハイ!」と返事をしてくれた子がいました。

そういう子どもがいるから、
『中国のフェアリーテール』の絵の大家のように、私が絵の中=本の世界へ連れて行ってあげよう。
そう言える大人であり続けようと思います。

<終>

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-2 Comments

お天気娘 says...""
素晴らしいレポートで、講演会の魅力が生き生きと伝わってきました。ありがとうございました!
2015.11.25 22:36 | URL | #- [edit]
静かな生活 says..."お天気娘さんへ"
お天気娘さん、はじめまして!^ ^
松岡享子さんの言葉そのものではないので、大変恐縮ではありますが…
一生懸命聞いて、とったメモなので、お読みいただき嬉しいです^ ^
2015.11.25 23:34 | URL | #- [edit]

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